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ミュージカル「ハルらんらん♪−和崎ハルでございます」

【ものがたり】
 明治半ば、ハルは同級生の桜子や美弥子たちと、学問と夢いっぱいの秋田高等女学校一期生を過ごす。22歳で陸軍少尉和崎豊之と結婚。幸せな生活は36歳の時、夫が病で亡くなり、急転する。5人の子どもと姑を抱え、一家離散を勧める周囲に、「何があっても家族は一緒。この子たちを奪わないで!」。ハルの人生は大きく動いていく。

 昔教わった美顔マッサージや化粧品の行商など、家族を養うための手探りの中で、自分よりも辛い境遇を送る女性たちの存在を知り、ハルの根っからのお節介に火がつく。

 秋田初の美容院を営業しながら、芸者のための学校を作り、新聞の人生相談も担当する。

 しかし一方では、芸者学校への非難・妨害も大きくなってゆく。そんなある日、秋田市常磐町が大火に見舞われる。そこには自由を持たない遊郭の女性たちがいた。「貧しさから女性たちが身を売るしかないなんてあってはならない」。

 ハルの情熱は女性の人権・解放運動へと進んでゆく−


【時代背景 雑学Q&A】

Q.明治時代中頃の女性の服装は?
A.明治から大正時代にかけて西洋文化が数多く取り入れられ、日本独特の文化が発展しました。今ではお馴染みの服装も、明治大正にかけて生まれたものが多くあります。ハルさんの女学校時代・明治中頃は、もとは男性の服装だった『袴』を女学生の服装に取り入れ“ブーツに袴”といった西洋風の和装が人気となりました。ちなみに・・・、舞台でのハルさんはブーツではなく下駄(げた)です。

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Q.はじめて女性に参政権が認められた1946年の第22回衆議院議員総選挙の結果は?
A.議席数466名中、女性当選者数39名(正式には468名ですが、2名定員の沖縄全県区はアメリカ軍政下のため実施されず)

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Q.美容師になるには?(ハルさんの当時)
A.大正2年(1913)『東京女子美髪学校』が最初に認可され、以降、女髪結の師匠たちによって各地で美容学校や講習所が設立されました。教科は美顔術(今日のエステの源流)、衛生学、薬学、洗髪技術、化粧、着付けなど。大正期は都市の生活の欧風化が進展し、女性の社会進出も始まり、ファッションの主流は和装でしたが、ウェーブなど洗髪技術が普及していきました。

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Q.月・火曜に定休日が多いのは何故?
A.戦後、資材不足により電力供給が追い付かず、『休電日』と呼ばれる電力供給停止日が設けられました。全国一斉に止めるわけにもいかず、地域毎に停止日を設定したそうです。電気を使ってパーマを行う美容院は、電力供給が停止の日を休みにした・・・と言われています。(諸説あり)現在ではお店毎に定めている場合もありますが、以前からの定休日を続けているお店が多いようです。

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本サイト「九十九歳の美容人生」第11話で、和崎ハルさんの美容院のことに触れられていますので、こちらもご覧ください。




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