第26話

秋田美容組合誕生

 

わたしにとって「美容組合」の発足は忘れることができません。
わたしは秋田の美容界のブルトーザーと言われてきました。

「洋髪」からはじまり「パーマネント」、戦時中は「木炭パーマ」、戦後は「コールドパーマ」へ切り替え、テクニックも次々と新しいものを取り入れ、アメリカの「テイト・システム」を導入したり、フランスのエスプリを基調とした「感覚的技法」なども取り上げてきました。

「それは、技術への挑戦、美容技術の革新時代を象徴するようなものだった」
とわたしは思っています。

ですから、美容組合の第一の目的は「技術」の向上でした。

小池県衛生部長の助言をいただいて、秋田に秋田美容組合ができたのは、終戦後の昭和21年11月でした。
はじめ秋田市在住の14名で発足し、推されて、わたしが組合長になりました。

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