第5話

ああ無情・書生さんたち

学生時代、私の親戚でいっしょに暮らしていた晋ちゃんは、後で評論家になり社会党から代議士となった島田晋作さんです。
代議士に出馬したときは、私も秋田で開業していましたから、よく運動員を引き連れては
「めしだ。酒だ」
と立ち寄られたものです。
わたしより年下なのに、酒が過ぎたのか早くこの世を去ってしまいました。惜しい人でした。

また当時、慶応にいた友さんこと近江屋友治さんは、おしゃれな「慶応ボーイ」とは思いもよらない「ボサッ」とした、なりふり構わない学生さんでした。
「ふろしき包み」の本を胸に突っ込んで通学していました。

学校を終えられてから村井銀行へ勤務したのですが、間もなく病に倒れ、渋谷の赤十字病院に入院しました・・・。
その頃からだったでしょうか。「農民運動」に入っていったのは・・・。
友さんは労働運動の指導者となりましたが、しかし、友さんから思想的な激しさを感じたことは一度もありませんでした。どこに話に聞くような、あんな激しさがあったのでしょう。
やがて秋田の「種まく人」のリーダーとなって、警察に拘留された同志を迎えにきては、そのつど、私もいくばくかの世話を頼まれたものです。
そんなことがあったものですから、わたしも思想的ににらまれたこともありました。
友さんは不遇のうちに、再び病に冒されて亡くなりましたが、最後にお会いしたのは、秋田赤十字病院でした。

当時、早稲田に通っていた冨樫さんは山形の人でした。10数年前、銀座の彼の事務所で、何年かぶりにお目にかかり、若き日の昔話に花を咲かせ、今度ゆっくり、お宅をお訪ねすることにしていましたが、先年、不帰の客になった悲しい知らせをいただきました。
人間九十九歳にもなりますと、悲しいことがたくさん出てくるものでございます。

前のページへ

目次ページへ戻る

次のページへ